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2020年08月27日

「国債は国民の資産だ」と叫ぶ人に教えたいこと 出口治明・権丈善一「日本の財政がこじれる訳」


2000年代に「給付カット」を叫ぶ緊縮財政派が猛威を振るったのに対し、昨今は「国債はいくらでも刷っていい」という超拡張財政派がSNS上で大手を振って歩いている。歴史は極端から極端へ振り子が振れがちだ。立命館アジア太平洋大学の出口治明学長と慶應義塾大学の権丈善一教授は、そうした状況に待ったをかける。
白熱の対談後編では、財政問題の基本的な考え方から始まり、コロナ対策やマイナンバー活用の課題など今後のあるべき方向性へ議論が進んだ(対談の前編は「『歴史好き』がいずれ来るコロナ後の時代を語る」(2020年8月20日配信)。

年金破綻論を否定したロジックと財政問題

――対談の後半は、所得の再分配政策や財政に話題を転じたいと思います。いま、9月末に期限を迎える雇用調整助成金の特例措置の延長が議論されていますね。

権丈善一(以下、権丈) コロナ禍で縮小した経済が相似形で元に戻ると想定するのと、そうでないのとでは政策のあり方が変わってくる。新型コロナの影響に加えて、この間のリモート化などライフスタイルの便利さを知った社会では、相似形では戻らないだろう。便利さというのは強い。多くの人たちの需要構造が変わる。そこがリーマンショックのときとは違う。雇用調整助成金に偏重するのではなく、労働力をはじめ、新たな需要構造に見合った供給へと生産要素のシフトがスムーズに行われる政策を期待したい。

――コロナ対策の巨額支出によって、世界や日本の財政に非常に大きなストレスがかかっています。こちらはどう考えますか。

権丈 財政を考えるとき、「あまり公的債務を大きくしておきたくないよね」ということが私の基本にある。話すと少し長くなるが説明しておきたい。

私は年金論で「将来は不確実で予測不可能だ」ということを議論の前提に置き、この点ではじめから他の研究者と大きく異なっていた。何が起こるかわからない将来においても高齢期の生活を保障するのが、公的年金保険制度だ。Maximin原理、つまり最悪の事態下で最善を保障する年金の財政方式とは何か。それは積み立て方式(給付が運用結果に連動する積み立て)なのか、賦課方式(給付が賃金に連動する仕送り方式)なのかという問いを立てたのが年金研究のスタートだった。

そして世の中みんなが「少子高齢化だから積み立て方式がよい」と言っていたときに、賦課方式のほうが目的を達成するための合目的的手段になると論じていた。当時は誰も理解してくれなかったが、2000年代に一世を風靡した年金破綻論がほぼ淘汰されつつあり、積み立て方式も少子高齢化の影響を受けることが理解されてきた今では、公的年金保険は賦課方式であるのが当然で、積立金は不確実性に対するバッファーの役割を果たすものという理解は広がってきた。

同じことが財政についても言える。私は財政が破綻するとは1回も書いたことがないのではないか。「将来は不確実」だという前提を置くと、政府が財政を維持していこうと努力していく中で、中・低所得者から高資産家・高所得者へ所得が逆に流れてしまう。

なぜなら、なんらかの理由で金利が上昇した場合、財政を持続させるためには、政府は増税か給付のカットを行い、そこから得たお金を国債費(元利払い費)に振り向けることになる。そこでは、高資産家・高所得者が金融機関などを通じてたくさん保有する国債などの金融資産を守るために、増税や給付カットが行われ、中・低所得者の生活に大きく影響することになる。

そうした社会は、高負担で中福祉、中負担だと低福祉になりかねず、私はそんな社会を避けたい。

――昨今SNSなどで増えている「国債は負債ではなく、国民の資産だ」との主張はどうですか。

権丈 確かに国債発行が国内資金で消化されているなら、国民の資産ではある。だが、「それは君の資産ではないかもな」ということだ。経済学は「代表的個人」という仮定を置き、モデルや論理を組み立てているが、国内に代表的個人1人しかいないのならば、国内でお金がグルグル回っているだけという夢物語は成り立つ。

だが、せめて「リッチ」と「プア」の2人くらいがいるモデルで考えないと分配問題は議論できない。リッチは国債を持っているが、プアは持っていない。にもかかわらず、「国債は国民の資産だ」と言って、みんなが国債は自分の資産だと考えているとすれば、経済学のワナにはまっている。ミドルが登場するモデルでも同じだ。


――話は若干それますが、「インフレリスクを除けば、政府はいくらでも自国通貨建てで国債発行を行うことができ、財政赤字は問題ではない」と主張するMMT(現代貨幣理論)派は、まさに「国債は国民の資産」が理論の中心にありますね。

出口 治明(以下、出口) MMTは不出来なケインジアンの再来だ。MMTのいちばんの疑問は「政府がいくらでもお金を刷れるなら、なぜ税金を全廃すると主張しないか」という点だ。そこがロジカルに考えるといちばんの矛盾だ。本当にいくらでもお金を刷れるなら、MMT派は税金全廃を主張してほしい。

インフレになったら社会保障がカットされる危険

権丈 あの話も将来インフレになる可能性は否定していない。そこは彼らも同意している。そしてその際は、政府は増税や給付のカットを行えばよいとする。たしかに、そういったことが将来起こるかもしれない。でもそのときそこで起こることは、富裕層の資産を守るために中・低所得者が、社会保障を削られて、そのうえ増税により、せっせと富裕層にお金を貢いでいるという所得の逆再分配だ。そのときに、中・低所得者の被害を極力小さくしておくためには、公的債務はなるべく増やしておきたくない。

権丈善一(けんじょう・よしかず)/慶應義塾大学商学部教授。1962年生まれ。2002年から現職。社会保障審議会、社会保障国民会議、社会保障制度改革国民会議委員、社会保障の教育推進に関する検討会座長などを歴任。『再分配政策の政治経済学』シリーズ(1〜7)、『ちょっと気になる社会保障 V3』など著書多数(写真:尾形文繁)

債務が大きければ大きいほど、名目金利上昇による利払い負担は重くなるため、その分、増税と給付カットの度合い、つまりは負担と福祉の乖離の度合いも大きくなる。給付カットとは、要するに社会保障のカットのことだ。技術的にインフレを止めることができるかもしれないが、社会保障をカットしてインフレを抑えるわけにはいかない。というか、それはしたくないから今から手を打っておきたい。だからあの手の話とは意見が合わない。

人間というのはそれなりに賢くて、過去に起きたことはいくらでも理屈をつけて説明できる。日本のように、過去数十年、これだけ財政赤字を出し続けてきてもインフレが起きていないことについても同様だ。しかし、その理屈が将来起こることに対してどれだけ普遍性のある話になるのか。永遠に金利は経済成長率を絶対に超えないというのならば話としては成り立つだろうが、将来のことは本当のこところ、誰にもわからない。不確実だ。

かつて政府は、企業年金の運用利回りを最低で年率5.5%と決めて制度を作っていた。これはほんの一例にすぎず、人間が将来を見通す能力なんてあてにならないもの。学者を含めて、「将来について予測できる専門家」などいない。ただ「将来に関する考え方の専門家」はありうる。公的年金は、将来は不確実であるという前提で制度が運営されている。公的年金が持続するための基礎となる財政も同じような方法で持続可能性を考えていくべきであろう。

インフレや金利上昇が起こる将来を想定し、そこでは少なくとも金利と成長率が等しい状況を想定の1つに置けば、いまの状況では公的債務の対GDP(国内総生産)比はひたすら発散していく未来が投影される。そうした未来も可能性の1つに含めてバックキャスティング(未来の姿から逆算して現在の施策を考えること)に財政運営していかなくては、不確実な将来においても国民の生活を守るという目的は達成できない。となれば、公的債務残高は増やしたくないし、できれば小さくしておきたい。

国民の生活を不確実性から守ることを目標とすればそうなるのだから、同じような考えを持つ人たちを持続可能性指向派だと呼んでいる。彼らの目標は財政再建ではなく、国民の生活を守る制度の持続可能性にあるからだ(「学校では教わらなかった大人の世界の民主主義」を参照)。

出口 個人も国も本質は一緒だ。いつか返さなければならない借金があれば、それだけでしんどい。僕は、国の多額の借金を否定するいちばんの論拠は、民主主義の正統性にあると思う。民主主義とは何かといえば、それは市民が税金を払い、自分たちの払った税金をどう使うかを決めることだ。

出口治明(でぐち・はるあき)/立命館アジア太平洋大学学長。1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。2008年にライフネット生命を開業。2018年1月から現職。『生命保険入門 新版』、『人類5000年史 T〜V』、『還暦からの底力』など著書多数(写真:梅谷秀司)

日本は財政赤字を続けたことで、一般会計歳出の約4の1が利払い費などの国債費になってしまった。これは、私たちが税金の使い方として決めたのではなく、過去の借金によって強制的に払わされている。財政赤字を放置すれば、将来世代はもっと重い形で同じことを余儀なくされる。

僕は、「悔いなし、貯金なし」の人なので、僕の子どもや孫は絶対に自分たちの税金の使い方を決める権利を僕に与えたくはないだろう。しかし国債発行論者は、子どもや孫たちの世代は素直で、彼らが使い方を決めるべき税金の権利を自分たちに100%委任してくれているという自信がきっとあるのだろう。

「増税した分は全部給付に回せ」のワナ

――一口に国民といっても、所得・保有資産の階層や、現在・将来など世代で区切って考えると、誰のお金が誰のところへ流れているのかが、理解しやすくなります。

権丈 「再分配政策の政治経済学」という言葉は、私が作ったものだが、そのような所得の流れから政治経済を考えようという学問のことだ。

私は、日本の特徴を「給付先行型福祉国家」と言ってきた。欧米の制度の歴史のように、税負担と一緒に社会保障給付も増やしていけば、国家は高所得者から低・中所得者へとお金を流すことができる。ところが、日本は増税などの負担増を後回しにして、給付拡充を先にやってしまった。

そのため、先行した給付を賄うために後回しにした負担増を実施しようとする段になると、「負担増と同額の給付の増加を」という財政ポピュリズムのような話が出てきたりして、結果、国民の負担増への抵抗が海外より大きくなる状況を招いた。財源も用意せずに給付を増やして、将来の中・低所得層のリスクを高めるようなことは考え直したほうがいい。

国は財政が破綻しないように努力するだろうから富裕層の資産は守られたとしても、中・低所得層はたまったものではない。社会保障のカットで医療・介護は維持できなくなるし、医療・介護で働く人たちもきつい状況になる。努力してもインフレや金利の上昇を抑えきれず、万が一、国債費の支出と借り換えが難しくなった場合には、みんなそろって一層悲惨なことになる。

いま公的年金改革で進めている厚生年金の適用拡大も、現在・将来の世代で分けて考えると理解しやすい。非正規雇用の人たちを厚生年金の適用から外している現状を続けると、これらの人たちは高齢期に生活保護受給者となってしまう可能性がある。そのとき、将来の生活保護費は将来世代の税から払われる。

つまり、現在の中小企業は付加価値生産性が低いとの理由で非正規雇用を厚生年金の適用から外す特典を受け、保険料を払わずに済んでいるが、それは将来世代の税から生産性の低い企業、なかにはゾンビ企業もあるだろうし、そうした彼らを温存するために将来世代の税で補助金を与えているようなものだ。正当な理由などどこにもない。

出口 まさに権丈さんの言われるとおり。そうした構造が可視化されていないから、市民の政策議論が深まらない。それを上手に見せるのがメディアの仕事だ。

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