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2020年08月27日

国債は国民の資産だ」と叫ぶ人に教えたいこと 出口治明・権丈善一「日本の財政がこじれる訳」(2)


――財政問題を考える際の基本構造は理解できました。そのうえで、コロナ対策における財政出動についてはどのように考えますか。

権丈 今回の新型コロナ対策でも、なるべく公的債務が増えないようにやりたい。そのためには、本当に支援が必要な人に対して必要な額の給付を行う一方、コロナ禍による経済的打撃を受けていない人たちにはそれを支えてもらうことが大切だ。そのような所得の再分配の必要性が一段と強まった時代だと言える。

さらにいえば、今回のパンデミック、繰り返される自然災害、金融ショックなどで、これからも何が起こるかわからないという意識が広まってきていると思うが、そうした変化は、不確実性に対する保険としての「社会・政府」への要請を高めてきているはずだ。

マイナンバーが宝の持ち腐れに

――ただ、現状の政策はうまく行っているとは言えません。

権丈 私は「複利計算の怖さ」と同様に「広さの怖さ」もあると言っているが、財政政策では給付対象が広いと給付総額が一気に膨らんでしまう。たとえば、当初政府案だった「所得急減世帯に30万円給付」では総額約4兆円を想定していたが、一律国民1人10万円にした結果、総額は12.6兆円に膨らんでしまった。国防費は約5.3兆円なのに、である。

これからも不測の事態は起こる。世の中というのは初めから不確実なものである。こういう「広さの怖さ」を知る事態を繰り返し起こさないためには、政府は誰が困っているのかをある程度わかっていないといけない。

ところが、日本政府はそれがわからない。対談の前編で出口さんは、日本のDX(デジタルトランスフォーメーション)化は10周遅れと言われたが、政府の所得捕捉におけるデジタル化がまさにそうだ。海外ではどんどん進んだのに、日本ではプライバシー問題などを理由に遅々として進まず、世界でも特異な国になってしまった。

出口 政府はマイナンバーを整備したのだから、技術的に所得は捕捉できる。ただ、リベラル派を自認する人たちを筆頭に、マイナンバーというと何も考えずにプライバシー問題だと騒ぎ立てる知性の低さがこの国の最大の宿痾だ。


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マイナンバーにプライバシー問題のリスクがあるなら、マイナンバーを管理する第三者機関を作ればいいだけの話だ。マイナンバーで国民の所得を捕捉するが、それは政府が管理しているのではないという仕組みを作れば、この問題は消える。マイナンバーで所得を捕捉して、そこに銀行口座をひも付けることは技術的にはなんら問題ない。そうしたうえで、所得の低い人に集中して給付すればいい。

ところが、マイナンバーという技術的なインフラがあるにもかかわらず、日本はプライバシー侵害と騒いで無理やりカギをかけている状態だ。その結果、低所得者だけに給付するにはものすごく時間がかかるため、次善の策として国民1人10万円となった。まったく宝の持ち腐れだ。

権丈 経済産業省や内閣府などは、「マイナンバーは行政の業務効率や生産性を高めるために推進する」と繰り返して、それにしか興味がないのだろうが、はっきりと「社会権・生存権を守る社会保障のために必要だ」と表に出さないとダメだろう。必要な人に必要な所得をしっかり行き渡るような支援や制度を作るためには、マイナンバーを「社会保障ナンバー」に昇華させていかなければならない。格差を抑止する有効な政策技術になる。

出口 「社会保障のため」というと、またそこで引っかかる人がいるかもしれないので、僕はもっと簡単に「小さな政府」にしようと言ったほうがいいと思う。「大きな政府」にしたらややこしいだけやでと。シンプルにお金を集めてシンプルに配る「小さな政府」が、人間社会本来の基本であって、社会のオペレーションコストをミニマムにしようと主張したい。

コロナ対策の持続化給付金でも、巨額な手続き業務の委託費が問題になった。市民はそんなことをしているのかと怒った。政府と市民の間に介在する人が増えれば増えるほど、オペレーションコストが増えて本当に必要な人にお金が届かない。政府が困っている人にお金を配る、そのためにいちばんいい方法は中間に入る人を極力少なくすること。それは結局、マイナンバーを活用することだ。

権丈 英国では、労働党政権のときに行政コストの削減を訴えるところからスタートして、その後、社会保障の話に入ってくる。日本では同時並行でもいいと思う。

欧州では情報捕捉で現金給付の統合が進む

――マイナンバーのようなデジタル化によって、欧米ではどんな社会保障システムの変化が生じているのですか。

権丈 英国などで行われているが、生活保護や失業給付、児童手当など現金給付の効率をそうとう程度高めることができる。バラバラになっている現金給付の制度は行政費用がそれだけ増える。制度を1本化して、そこに家族構成や所得などの情報を入れると、「この人はいくらの受給の権利がある」とわかる(「日本の社会保障、どこが世界的潮流と違うのか」を参照)。

また、ミーンズテスト(申請者が要件を満たすか判断するため、行政側が行う資産や所得の調査)などもあまりがんじがらめにやらない。制度があまりに複雑だと、本当は受給の権利を持っている人たちに給付が届かず、制度の捕捉率が下がるが、デジタル化時代になって生活保護制度などが創設されたころには不可能だったことができるようになった。

出口 今は技術的には、医療保険も年金も所得の捕捉も全部、マイナンバーでできるはずだ。

権丈 やろうと思えばできるし、やるべきだ。ただ、そうした話を誰かがフェイスブックに書いたりすると、「政府なんか信用できない」という反論がいっぱいコメントについていたりする。

「政府VS市民」という対立軸の設定は罪深い

出口 政府と市民が対立軸だという考え方自体が根本から間違っている。民主主義社会においては、政府はわれわれ市民が作るもので、政府はわれわれのエージェント(代理人)だ。「政府とは何か」という議論をメディアがきちんと行う必要があると思う。

権丈 政府は、便利に生きていくための道具だ。これをうまく利用しなかったら不自由な生活を強いられる。と同時に、スウェーデンなどではどうしてそこまで所得・資産情報をガラス張りにするのかといえば、「富裕層や政治家を見張るため」という感覚もある。

出口 そのとおりだ。マイナンバー制度をしっかり確立したら、悪い人が悪いことをできなくなる。なぜなら、お金がない人は悪いことをしようにもできない。お金をたくさん持っている人に悪いことをさせないためにマイナンバーが必要だが、それを、善良な市民が自分たちの少ない所得情報のプライバシー問題だと考えて、被害妄想的な話をしている。こうなってしまうのも、メディアの論点整理が悪いからだ。

権丈 メディアも富裕層にインタビューして、「プライバシーが問題だ」と報道しているという指摘もある。アングラマネーとか、銀行に隠し口座を持っているとか、はっきり言って一般市民には関係のない話だ。一般の市民に対して、「いやそうではなくて、社会保障ナンバーはあなたたちにとってお得です」と伝えるメディアがないことが、この国らしいといえばこの国らしい。

出口 一部の富裕層は、マイナンバーにおけるプライバシーは自分たちの問題だとは言わずに、一般市民のプライバシーや財産権の問題だとすりかえて、その陰で自分たちは悪いことをやっているわけだ。

権丈 私は、「グリーンカードの顛末を知っておこう」というキャンペーンを個人的にやっている(笑)。出口さんがビジネスマンとして現役バリバリのときにあった事件だが、1980年代初頭に当時の大平正芳内閣が金融商品の利子・配当所得を把握し、所得の総合課税を行うことを目的に、納税者番号制度(グリーンカード)を導入する法案を成立させた。ところが銀行や中小企業、政治家などから猛反発が起こって、いったん決まった法律がひっくり返されて廃止になってしまった。

出口 でも、それは今でもしょっちゅうある話ではありますね(笑)。

権丈 ただ、あそこまでひどい話は滅多にないでしょう(笑)。あのときは露骨に富裕層が政府の所得捕捉を潰した。これから先、コロナ禍以後も、支える側に回ることができる人たちにもお金を配っていくような制度をわれわれは本当に続けていくのか。グリーンカードの顛末は国民みんなで共有しようと言いたい(「総花的『公的支援給付』が生まれる歴史的背景」参照)。

出口 マイナンバーはマストだ。権丈さんの話を聴いてわかったのは、やはり政府は大事にせなあかんということだ。結局、コロナ禍のようなときに再分配できるのは政府しかない。われわれは選挙などを通じてしっかりした政府を作らなければならない。連合王国の経済学者ニコラス・バー(ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス教授)の名言にあるが、年金と一緒で、将来の再分配政策をいいものにするためには、「よい政府を作ることが決定的に大切」だ。

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「国債は国民の資産だ」と叫ぶ人に教えたいこと 出口治明・権丈善一「日本の財政がこじれる訳」


2000年代に「給付カット」を叫ぶ緊縮財政派が猛威を振るったのに対し、昨今は「国債はいくらでも刷っていい」という超拡張財政派がSNS上で大手を振って歩いている。歴史は極端から極端へ振り子が振れがちだ。立命館アジア太平洋大学の出口治明学長と慶應義塾大学の権丈善一教授は、そうした状況に待ったをかける。
白熱の対談後編では、財政問題の基本的な考え方から始まり、コロナ対策やマイナンバー活用の課題など今後のあるべき方向性へ議論が進んだ(対談の前編は「『歴史好き』がいずれ来るコロナ後の時代を語る」(2020年8月20日配信)。

年金破綻論を否定したロジックと財政問題

――対談の後半は、所得の再分配政策や財政に話題を転じたいと思います。いま、9月末に期限を迎える雇用調整助成金の特例措置の延長が議論されていますね。

権丈善一(以下、権丈) コロナ禍で縮小した経済が相似形で元に戻ると想定するのと、そうでないのとでは政策のあり方が変わってくる。新型コロナの影響に加えて、この間のリモート化などライフスタイルの便利さを知った社会では、相似形では戻らないだろう。便利さというのは強い。多くの人たちの需要構造が変わる。そこがリーマンショックのときとは違う。雇用調整助成金に偏重するのではなく、労働力をはじめ、新たな需要構造に見合った供給へと生産要素のシフトがスムーズに行われる政策を期待したい。

――コロナ対策の巨額支出によって、世界や日本の財政に非常に大きなストレスがかかっています。こちらはどう考えますか。

権丈 財政を考えるとき、「あまり公的債務を大きくしておきたくないよね」ということが私の基本にある。話すと少し長くなるが説明しておきたい。

私は年金論で「将来は不確実で予測不可能だ」ということを議論の前提に置き、この点ではじめから他の研究者と大きく異なっていた。何が起こるかわからない将来においても高齢期の生活を保障するのが、公的年金保険制度だ。Maximin原理、つまり最悪の事態下で最善を保障する年金の財政方式とは何か。それは積み立て方式(給付が運用結果に連動する積み立て)なのか、賦課方式(給付が賃金に連動する仕送り方式)なのかという問いを立てたのが年金研究のスタートだった。

そして世の中みんなが「少子高齢化だから積み立て方式がよい」と言っていたときに、賦課方式のほうが目的を達成するための合目的的手段になると論じていた。当時は誰も理解してくれなかったが、2000年代に一世を風靡した年金破綻論がほぼ淘汰されつつあり、積み立て方式も少子高齢化の影響を受けることが理解されてきた今では、公的年金保険は賦課方式であるのが当然で、積立金は不確実性に対するバッファーの役割を果たすものという理解は広がってきた。

同じことが財政についても言える。私は財政が破綻するとは1回も書いたことがないのではないか。「将来は不確実」だという前提を置くと、政府が財政を維持していこうと努力していく中で、中・低所得者から高資産家・高所得者へ所得が逆に流れてしまう。

なぜなら、なんらかの理由で金利が上昇した場合、財政を持続させるためには、政府は増税か給付のカットを行い、そこから得たお金を国債費(元利払い費)に振り向けることになる。そこでは、高資産家・高所得者が金融機関などを通じてたくさん保有する国債などの金融資産を守るために、増税や給付カットが行われ、中・低所得者の生活に大きく影響することになる。

そうした社会は、高負担で中福祉、中負担だと低福祉になりかねず、私はそんな社会を避けたい。

――昨今SNSなどで増えている「国債は負債ではなく、国民の資産だ」との主張はどうですか。

権丈 確かに国債発行が国内資金で消化されているなら、国民の資産ではある。だが、「それは君の資産ではないかもな」ということだ。経済学は「代表的個人」という仮定を置き、モデルや論理を組み立てているが、国内に代表的個人1人しかいないのならば、国内でお金がグルグル回っているだけという夢物語は成り立つ。

だが、せめて「リッチ」と「プア」の2人くらいがいるモデルで考えないと分配問題は議論できない。リッチは国債を持っているが、プアは持っていない。にもかかわらず、「国債は国民の資産だ」と言って、みんなが国債は自分の資産だと考えているとすれば、経済学のワナにはまっている。ミドルが登場するモデルでも同じだ。


――話は若干それますが、「インフレリスクを除けば、政府はいくらでも自国通貨建てで国債発行を行うことができ、財政赤字は問題ではない」と主張するMMT(現代貨幣理論)派は、まさに「国債は国民の資産」が理論の中心にありますね。

出口 治明(以下、出口) MMTは不出来なケインジアンの再来だ。MMTのいちばんの疑問は「政府がいくらでもお金を刷れるなら、なぜ税金を全廃すると主張しないか」という点だ。そこがロジカルに考えるといちばんの矛盾だ。本当にいくらでもお金を刷れるなら、MMT派は税金全廃を主張してほしい。

インフレになったら社会保障がカットされる危険

権丈 あの話も将来インフレになる可能性は否定していない。そこは彼らも同意している。そしてその際は、政府は増税や給付のカットを行えばよいとする。たしかに、そういったことが将来起こるかもしれない。でもそのときそこで起こることは、富裕層の資産を守るために中・低所得者が、社会保障を削られて、そのうえ増税により、せっせと富裕層にお金を貢いでいるという所得の逆再分配だ。そのときに、中・低所得者の被害を極力小さくしておくためには、公的債務はなるべく増やしておきたくない。

権丈善一(けんじょう・よしかず)/慶應義塾大学商学部教授。1962年生まれ。2002年から現職。社会保障審議会、社会保障国民会議、社会保障制度改革国民会議委員、社会保障の教育推進に関する検討会座長などを歴任。『再分配政策の政治経済学』シリーズ(1〜7)、『ちょっと気になる社会保障 V3』など著書多数(写真:尾形文繁)

債務が大きければ大きいほど、名目金利上昇による利払い負担は重くなるため、その分、増税と給付カットの度合い、つまりは負担と福祉の乖離の度合いも大きくなる。給付カットとは、要するに社会保障のカットのことだ。技術的にインフレを止めることができるかもしれないが、社会保障をカットしてインフレを抑えるわけにはいかない。というか、それはしたくないから今から手を打っておきたい。だからあの手の話とは意見が合わない。

人間というのはそれなりに賢くて、過去に起きたことはいくらでも理屈をつけて説明できる。日本のように、過去数十年、これだけ財政赤字を出し続けてきてもインフレが起きていないことについても同様だ。しかし、その理屈が将来起こることに対してどれだけ普遍性のある話になるのか。永遠に金利は経済成長率を絶対に超えないというのならば話としては成り立つだろうが、将来のことは本当のこところ、誰にもわからない。不確実だ。

かつて政府は、企業年金の運用利回りを最低で年率5.5%と決めて制度を作っていた。これはほんの一例にすぎず、人間が将来を見通す能力なんてあてにならないもの。学者を含めて、「将来について予測できる専門家」などいない。ただ「将来に関する考え方の専門家」はありうる。公的年金は、将来は不確実であるという前提で制度が運営されている。公的年金が持続するための基礎となる財政も同じような方法で持続可能性を考えていくべきであろう。

インフレや金利上昇が起こる将来を想定し、そこでは少なくとも金利と成長率が等しい状況を想定の1つに置けば、いまの状況では公的債務の対GDP(国内総生産)比はひたすら発散していく未来が投影される。そうした未来も可能性の1つに含めてバックキャスティング(未来の姿から逆算して現在の施策を考えること)に財政運営していかなくては、不確実な将来においても国民の生活を守るという目的は達成できない。となれば、公的債務残高は増やしたくないし、できれば小さくしておきたい。

国民の生活を不確実性から守ることを目標とすればそうなるのだから、同じような考えを持つ人たちを持続可能性指向派だと呼んでいる。彼らの目標は財政再建ではなく、国民の生活を守る制度の持続可能性にあるからだ(「学校では教わらなかった大人の世界の民主主義」を参照)。

出口 個人も国も本質は一緒だ。いつか返さなければならない借金があれば、それだけでしんどい。僕は、国の多額の借金を否定するいちばんの論拠は、民主主義の正統性にあると思う。民主主義とは何かといえば、それは市民が税金を払い、自分たちの払った税金をどう使うかを決めることだ。

出口治明(でぐち・はるあき)/立命館アジア太平洋大学学長。1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。2008年にライフネット生命を開業。2018年1月から現職。『生命保険入門 新版』、『人類5000年史 T〜V』、『還暦からの底力』など著書多数(写真:梅谷秀司)

日本は財政赤字を続けたことで、一般会計歳出の約4の1が利払い費などの国債費になってしまった。これは、私たちが税金の使い方として決めたのではなく、過去の借金によって強制的に払わされている。財政赤字を放置すれば、将来世代はもっと重い形で同じことを余儀なくされる。

僕は、「悔いなし、貯金なし」の人なので、僕の子どもや孫は絶対に自分たちの税金の使い方を決める権利を僕に与えたくはないだろう。しかし国債発行論者は、子どもや孫たちの世代は素直で、彼らが使い方を決めるべき税金の権利を自分たちに100%委任してくれているという自信がきっとあるのだろう。

「増税した分は全部給付に回せ」のワナ

――一口に国民といっても、所得・保有資産の階層や、現在・将来など世代で区切って考えると、誰のお金が誰のところへ流れているのかが、理解しやすくなります。

権丈 「再分配政策の政治経済学」という言葉は、私が作ったものだが、そのような所得の流れから政治経済を考えようという学問のことだ。

私は、日本の特徴を「給付先行型福祉国家」と言ってきた。欧米の制度の歴史のように、税負担と一緒に社会保障給付も増やしていけば、国家は高所得者から低・中所得者へとお金を流すことができる。ところが、日本は増税などの負担増を後回しにして、給付拡充を先にやってしまった。

そのため、先行した給付を賄うために後回しにした負担増を実施しようとする段になると、「負担増と同額の給付の増加を」という財政ポピュリズムのような話が出てきたりして、結果、国民の負担増への抵抗が海外より大きくなる状況を招いた。財源も用意せずに給付を増やして、将来の中・低所得層のリスクを高めるようなことは考え直したほうがいい。

国は財政が破綻しないように努力するだろうから富裕層の資産は守られたとしても、中・低所得層はたまったものではない。社会保障のカットで医療・介護は維持できなくなるし、医療・介護で働く人たちもきつい状況になる。努力してもインフレや金利の上昇を抑えきれず、万が一、国債費の支出と借り換えが難しくなった場合には、みんなそろって一層悲惨なことになる。

いま公的年金改革で進めている厚生年金の適用拡大も、現在・将来の世代で分けて考えると理解しやすい。非正規雇用の人たちを厚生年金の適用から外している現状を続けると、これらの人たちは高齢期に生活保護受給者となってしまう可能性がある。そのとき、将来の生活保護費は将来世代の税から払われる。

つまり、現在の中小企業は付加価値生産性が低いとの理由で非正規雇用を厚生年金の適用から外す特典を受け、保険料を払わずに済んでいるが、それは将来世代の税から生産性の低い企業、なかにはゾンビ企業もあるだろうし、そうした彼らを温存するために将来世代の税で補助金を与えているようなものだ。正当な理由などどこにもない。

出口 まさに権丈さんの言われるとおり。そうした構造が可視化されていないから、市民の政策議論が深まらない。それを上手に見せるのがメディアの仕事だ。

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